実験的大学受験

わたしは,大学受験を控えている高校 3 年生である.

 

半年前まで,大手ではないが予備校に通って学習を進めていた. しかし,「何かが違うなあ」という感じがどうしても拭いきれなかった.

本当にこのまま予備校に通っていて受験がうまくいくのかなあ,という不安が常にあった.

 

夏期講習に入ろうとしていたとき,初めて志望校の過去問に目を通して,その疑問は決断に変わった.

「あ,塾やめよう」

親に相談し,お願いして,夏期講習に入る前に予備校をやめた.

 

わたしの疑問が決断に至ったのには,主に 3 つ理由がある.

 

  • 高校生は「高校生らしく」問題を解かなければならない

 通っていた予備校は,「学問の真理を追究する」ということを謳い文句にしていた. たとえば,公式の「丸覚え」をせずにそれぞれの公式の導出や由来などを一から習うなど,その過程では高校の学習範囲を超えた授業内容になることもしばしばあった.

たしかに,公式の導出を知ることはとても大切である. 丸覚えだけでは公式の使い方を失敗することもあり,時にはその導出じたいが問題となって出てくることもある.

しかし,導出を知っているだけではすべての問題は解けないのが現実である. じっさい,通っていた予備校では,基本的な公式の導出を習うことによって,それに派生する公式,つまり「その公式を知らなくても,時間はかかるが問題は解ける」という類の公式は取り上げないことがあった.

だが,大学側はそれを想定していない. 基本的な公式だろうがそれに派生した公式だろうが,「高校3年生であれば知っているはずの公式」はすべて問題になり得る. 現に,わたしの志望校の過去問ではその「派生した公式」をそのまま使う問題が出されていた. 導出だけしか知らなかったとすれば,その公式を知っている人にかなりの時間的遅れを取ってしまう. だから,その公式の意味はしっかり理解した上でのことだが,公式を「覚える」というのは非常に重要なことなのだ.

高校生は「学問の真理」を知っている必要は必ずしもない.「『高校生らしく』問題が解ける」ことが必要なのである.

 

  • 応用ができるから基礎ができるとは限らない

あることを学習するなら,まずは基礎からはじめて,それから応用に移っていく,というのはごくふつうのことだろう. しかし,どこでも「基礎に立ち戻る」ということは忘れられがちである. 大学受験において,「難しい問題」と呼ばれるものはある程度パターン化されていることが多い. つまり,解き方を「覚える」ことによって「難しい問題が解けた『気になってしまう』」のだ. 

だが,予備校で難しい問題をたくさん習い,その「解けた『気になる』」ことを何回も繰り返し,うまく調子に乗ってきた (?) ところで,いざ基本的なことを聞かれると,「あれ?」となってしまうのだ (これはわたしの体験談です) . 古い話だが,姉○建築事務所の欠陥住宅のようなものである.いくら外装をがんばっても,柱がスカスカでは元も子もない.

大学受験における応用というのは,しばしば「見せかけの応用」であることが多い. 応用ができるからといって,基礎ができるとは限らないのだ.

 

  • 周りとの競争に勝つこと = 合格ではない

予備校での受験生活にどうしてもつきまとうのは,周りとの競争である. じっさい,通っていた予備校では個人の得点の掲出があったり,知り合いどうしでも「この人はどのくらい勉強を進めているのか?」「あの人はどれだけ点数を取ったのか?」というような探り合いがあったりした.

そうすると,だんだん「大学受験に合格する」という当初の目標から逸れてくるのだ. 周りとの競争がモチベーションになってうまく働いてくれるならよいのだが,合格するという目標がかすんで,目先のことにとらわれたばかりに「周りとの競争に勝つ」ことを目標にすると,かえって自分の目標を低く設定してしまうことにもなる. さらに,そのようなことに必死になると,今の自分に何が足りないのか,何を補わなければならないのか,マイペースに考えられなくなり,本当に自分に必要なことが見えなくなってくるのだ.

このことに関しては,それぞれの性格などでかなり個人差があると思うが,少なくともわたしにとっては,この予備校での競争も,予備校をやめるに至ったひとつの要因である.

 

予備校をやめた補足的な理由として,わたしの志望校の出題傾向というものもある.

通っていた予備校にはいわゆる「最難関大学」とよばれる T 大や K 大などの志望者がたくさん在籍していて,授業もそれらの入試をターゲットにした内容が多くを占めていた.

わたしの志望する大学は,偏差値だけを見ればそれらの大学と同じくらいなのだが,出題傾向はまったくと言っていいほど違う. 過去問演習を進めていく中で,わたしの志望校はいかに「正確に」「速く」そして「基礎を取りこぼさないか」ということが第一に見られているな,という印象を強く受けた. だから,わたしの場合でいえば,「難問の解き方を習う」よりも「速く正確に問題を解く訓練をする」ことが必要なのだ. 偏差値だけではなかなか実態はわからないものである.

 

予備校をやめた後は 9 月からZ会の通信講座に入会して,自分の勉強を進めつつ,送られてくる問題で演習をしている. そして,ひたすら過去問を解いている.

予備校をやめたことによって,勉強における自分のペースがうまくつかめるようになったし,なによりも「自分で考える」ことが格段に増えた. これは,わたしの学習に大きな効果をもたらしてくれたと思う.

だが,やはり今年の 1 月〜 7 月まで予備校に通い,基礎の授業を受けていなければ,ここまで自分で納得のいく学習はできていなかったと思う. だから予備校を一概に否定するわけではなくて,予備校を盲信せず,自分に必要なものをいかに取捨選択できるか,ということが大事なのだと思う.

 

 

ここまで書いてきたが,わたしはそもそもまだ大学受験に合格していない. 今年受験しても,来年浪人する可能性だってじゅうぶんにある. だから,ずいぶんと偉そうなことを書いてしまったが,あんまりそういうことは言えないのだ.

だが,わたしはこのブログを,自分で学習方法を取捨選択したことの記録としても残していこうと思う. 果たしてこの道が吉と出るか凶と出るか? それは受験が終わるまでわからない. 

とりあえず 3 月まで,「おもしろい大学受験生」になるべく,ゴ〜イングマイウェイで頑張ってやってみようかと思っている.

 

けもの道

けもの道



     

S氏

 

「今夜も生で〜」というNHKの番組がまた家のテレビに映っていた.

 

S氏は,わたしが苦手とする人物のひとりだ.

S氏の語ることからは,なんの感動も得られたことがない. テレビから流れる彼の声は,わたしにとっては苦痛でしかないのだ. 彼の歌も,トークも,どれもが不自然に劇調で,小学校の道徳の教科書に書いてあったようなことばかりが並べられていて,いつもウッとなってしまう. 彼は,"人が感動するであろう言葉" しか選ぼうとしない.

 

昨日,S氏はトークの中でこんなことを言っていた. 番組宛のお便りを紹介するコーナーで,S氏はある男の子からのFAXを読んでいた.

その男の子は,兄との会話の中で「お前には動物を殺して食べてまで生きる価値があるのか!」と言われたそうで,これをどう思うか,とS氏に問いかけていた.

するとS氏は,

「食べたくても食べられない人が世界にはいるんだから,ありがたく食べなきゃいけないよね.」

という内容のことを何度も繰り返し語った.

 

「与えられた食べ物はありがたく食べなければいけない」

これはたしかにそうだ,と思う. しかしわたしが引っかかるのは,「食べたくても食べられない人がいるんだから」 だ.

だからなんだというのだ.

そう言うと,わたしが「食べたくても食べられない人」に対して,勝手にしろとでも思っているようだが,決してそうではない. 世界には確かに日々の食事に事欠く人がたくさん存在して,それは深刻な問題だ.

そうではなくて,「生きる価値を比べるな」ということを言いたいのである.

 

わたしの通う学校はミッション校で,毎朝礼拝が持たれる. 祈りの時間に,たまにこういう祈りをする先生がいる.

 

「世界には,戦争や飢えで苦しむ人々がたくさんいます. どうかその人たちに,私たちと等しい恵みをお与えください.」

 

「私たちと等しい恵み」とは,思い上がりも甚だしいものである. 「私たち」は「世界の苦しむ人たち」より神様に恵まれています!と宣言しているようなものだ.

会ったこともない他人と「恵まれ度」を比較して,それで初めて自分たちがいかに恵まれているかを実感するというのは,比較した相手が恵まれていないと決めつけているのと同じだ.

 

「生きる価値」とか「生きる意味」などというのは,もともとどこにもない. だが人間は考える生き物だから,自分の生きる意味がないと生きていけないのだ. だからわたしたちは,他人と比較して自分の「価値」をはかってしまう. それを維持するために,無意識のうちに他人を貶め,「自分より恵まれていない」他者を探してしまうのだ. 

「自分の価値」など,いくら他人と比べたところで生まれてくるわけがない. わたしたちはある意味で,自分ひとりで生きられるようにならなければならないのだ,と思う.

 

 

ヒバリのこころ

 

死ぬのはこわい.

 

5歳の頃,わたしはいきなり死ぬのがこわくなって,夜布団に入ると毎晩泣いていた.

明日起きられなかったらどうしよう,もし起きたとしても誰もいなかったらどうしようと思って毎晩眠るのがこわかった.

それまで,"自分が死ぬ" などということは一度も自覚したことがなかった. 死という概念はまだわたしの中に生まれていなかったのだ.

5年生きて,これから人生が始まろうというのに,人生はいつか終わるのだという事実を突きつけられた.

だがある日突然,眠ることがまったくこわくなくなった. 死ぬときはどうせ死ぬし,みんないなくなるときはいなくなるんだから,さっさと寝よう,と毎日自分に言い聞かせることができるようになったからだ.

 

クリスチャンの親友が死ぬことについて教えてくれた.

たくさんの子どもが公園で遊んでいて,夜になるとみんな帰りはじめる.遊び疲れて満足して,すんなり家に帰れる子どももいれば,帰りたくない!と泣きわめく子どももいる.

死ぬことはそれと同じであると.

わたしは絶対に後者の子どもだと思う.小さい頃もそうだった.暗くなっても遊び続けて,付き添ってきた祖母が街灯の光の前に立って,完全に暗くなって,やっと帰る時間なのだと気づくくらいだった.

この性格,きっと人生にも現れるのだろう. わたしが満足するまで生きるなら,寿命が500年は必要だと思う.

 

18歳になった今,やっぱり死ぬのはこわい.

死んだら違う世界に行きたいなあ,というのが今の願いである.

死んでもなお生きたいと思ってしまう.

人生を手放せる日は来るのだろうか.

 

ヒバリのこころ

ヒバリのこころ