ヒバリのこころ
死ぬのはこわい.
5歳の頃,わたしはいきなり死ぬのがこわくなって,夜布団に入ると毎晩泣いていた.
明日起きられなかったらどうしよう,もし起きたとしても誰もいなかったらどうしようと思って毎晩眠るのがこわかった.
それまで,"自分が死ぬ" などということは一度も自覚したことがなかった. 死という概念はまだわたしの中に生まれていなかったのだ.
5年生きて,これから人生が始まろうというのに,人生はいつか終わるのだという事実を突きつけられた.
だがある日突然,眠ることがまったくこわくなくなった. 死ぬときはどうせ死ぬし,みんないなくなるときはいなくなるんだから,さっさと寝よう,と毎日自分に言い聞かせることができるようになったからだ.
クリスチャンの親友が死ぬことについて教えてくれた.
たくさんの子どもが公園で遊んでいて,夜になるとみんな帰りはじめる.遊び疲れて満足して,すんなり家に帰れる子どももいれば,帰りたくない!と泣きわめく子どももいる.
死ぬことはそれと同じであると.
わたしは絶対に後者の子どもだと思う.小さい頃もそうだった.暗くなっても遊び続けて,付き添ってきた祖母が街灯の光の前に立って,完全に暗くなって,やっと帰る時間なのだと気づくくらいだった.
この性格,きっと人生にも現れるのだろう. わたしが満足するまで生きるなら,寿命が500年は必要だと思う.
18歳になった今,やっぱり死ぬのはこわい.
死んだら違う世界に行きたいなあ,というのが今の願いである.
死んでもなお生きたいと思ってしまう.
人生を手放せる日は来るのだろうか.